『9.8』が、その身に降りかかった。
夜だったはずの空は青く染められ、その色は不自然な程に濃い青へと変わり果てていた。
──この空は見覚えがある。
彼はどこで見たのかを思い出そうとしたが、すぐにどうでもよくなった。自分の置かれた状況を理解したからだった。
──どうせいつか死ぬのなら、一発で魂が吹き飛んでいくような死に方が良い。
走馬灯のようにして、楽に死にたいと願った自分の言葉が思い返される。
そして彼は悟る、その願いはきっと叶うと。
走馬灯ついでに、昔教わったある数字が思い浮かんだ。
『9.8』──自由落下の計算に用いる数字。
ある日突然、自分自身に降りかかった数字。
──現在、高度上空200m。
夏の朝日に照りつけられ、全身に風を浴びながら──彼は空から落ちていた。
『9.8』は、何かを終わらせる数字でもあった。
少なくとも──今日までは。
01 : ドラマへの座礁
day01:06:02:13:夜映しの水源
「あれ、生きてる」
自分が落ちてきた空を見上げ、自然に出た言葉。
人間が自由落下し始めた場合、すぐに到達する終端速度は時速200km。
彼はそれを身を以て体験し、どの角度から落ちれば助かる可能性があるのかを決めあぐねた末、盛大に水しぶきをあげながら着地──もとい、地表への玉砕を完了させた。
わずか5秒の空の旅だったが、結局背中から地面と衝突することになった彼は、もう助からないと命を諦めた……のだが、生きている。
たしかに背中は鈍く痛むが、それでも生きている。
その事実をなんとか頭に認識させた後、自分がずぶ濡れになっていることに気がつき、ゆっくりと身体を起した。
すると、目を疑う光景が眼前に広がっていた。くるぶしまでの高さに張られた水が地平線まで、というより水平線まで広がっている。まるで太平洋のど真ん中に自分だけ置き去りにされた気分になるほど、建物も木々も無く、ただあるのは空と水。
水面は透き通り、白砂の地面がクリアに見えた。そして水面は自分との距離が離れるにつれて、空を映す鏡のようになっていた。異様なほどはっきりとした濃い青色の空を映す水鏡は、まるで空が落ちてきた錯覚を見せる。
だが、観賞に浸ってはいられない。
確実に死ぬような高さからの墜落であったのに、ただの“痛い”で済んでしまう。
「──最悪だ。また来たのか」
青年はたまらず呟いた。
あの高さから落ちても“痛い”だけで済むことが、この別世界へ戻って来たことの証明だった。
彼は小学生の頃に一度、この世界に迷い込んだことがある。そして大変な思いをしながら、とある女性の協力のおかげで、元の世界への生還を果たしていた。
なぜもう一度この世界に放り込まれたのかは、皆目検討もつかなかった。日課のランニング中に、気づけば空から落ちていたのだから。
「大学の期末試験が近いんだが……なるべく早く戻らないとマズイな……」
ずぶ濡れて肌に張り付くようになった服に不快感を抱きながら、あたりを見渡した。空と水しかない場所で遭難などすれば、元の世界に帰ることなど叶うはずもない。何でもいいから、人のいそうな場所までの指針となるものが欲しかった。
そんな願いを込めて背後に目を向けると、やや遠くに佇む1人の少女が目に留まった。
彼──五月大和は19年の人生で初めて、神を信じようと思った。
音もなく背後に現れた浴衣の少女に、気づくことはなかったが。
その少女は、明らかに様子がおかしかった。
挙動が怪しかったのではない。むしろ挙動が一切なかったのである。
白いワンピースを着た少女。ショート気味に肩より少し上で切り揃えられ、ストンと落ちるような癖のない黒髪はとても綺麗だ。たがピクリとも身体を動かさないその生物らしからぬ佇まいに、大和は若干の恐怖を感じていた。
なにも抜き足差し足で近づいた訳ではない。進むたびに足元が波立つ環境で、その音は聞こえているはず。
──だったらこちらに気がついて、振り向いてもおかしくない。なぜ1ミリたりとも動かない……?
そんな疑心から、彼は少し離れた場所から声をかけてみた。
「あの」
返事はない。
「あの……もしもし」
返事がないどころか、いまだにピクリとも動かない。無視とは違い、そもそもこちらの存在を感じられていないようだった。
仕方なく正面に移動する。顔を覗き込んで視界に入れば、流石に気づいてもらえるだろうと予想した。
だが、その少女は気づかなかった。前かがみ気味でうつむいてはいたが、確かに目は開いている。しかし大和の姿をとらえているはずのその瞳は、微動だにしなかった。
「うわ、怖いな」
本人を目の前にして、思わず本音がこぼれる。
大和は不安に駆られながらも、少女の肩をタップした──その瞬間、
「──はいぃっ?!」
素早く顔を上げた少女と目が合う。先ほどとは打って変わり、明らかに意思のこもった瞳だった。
「えぇぇ! ひひひひとッ!?」
そう叫びながら、少女は盛大に水しぶきをあげながら後ずさりをして固まった。そして眉の形を八の字にし、いかにも困ったという顔をしていた。
同年代くらいに見える彼女は、困り顔でも可愛いと思えるような整い方をしている。
水の波紋と共に流れる、数秒の静寂。
「あの」
「はっ、はい!」
少女が固まったまま答える。
「いや、そこまで警戒しなくても良い……ちょっと訊きたいことがある」
「は、はい」
なおも距離を置こうとする少女に対し、大和は相手と親しくなることを諦めたが、なるべく不信感を与えぬようには務めることにした。
相手はこちらが別世界からやってきた人間だとは、露も知らないはず。
何も、空から落ちてきたので道がわからない──などと話すつもりはもちろんない。だが、わざわざ何もないここまで来ておいて、帰り方を知らない者もきっと怪しいだろう。
「……そうだな、俺は旅行中の身なんだが」
旅行で初めてここに来たように装えば、幾分怪しさは減るかもしれないという、苦し紛れからでた嘘をそのまま伝える。普段から不愛想な大和は、口角の上がりきらない笑顔で観光客らしさを演出してみせた。
「あぁ、観光客の方なんですか」
少女はあっさり嘘を信じた。正体が観光客だと分かった彼女は、なぜか安心したように見えた。その理由は不明だが、ならば話が早い。
「いろいろ見ていたら、ついここまで来てしまった」
「そうなんですね。珍しかったので、驚いてしまいました」
「珍しい?」
その返しに、少女は不確かな記憶を探るかのように目線を宙に泳がせる。
「確かにここは、“夜空と青空を一度に見られる場所”として有名なんですけど、まだベストシーズンではないんです。あと1ヶ月ぐらいでしょうか」
「そんな変な場所なのか、ここは……」
「え、観光で来たのなら知っているのでは?」
「──! もちろん知っている。だがベストシーズンではなかったんだな」
「はい。ですからこの時期に──しかもこんな時間から人がいるとは思っていなかったので、珍しいな……と」
先ほど辺りを見渡した時に感じた、“朝”の雰囲気。
もし早朝ならば、彼女にこそこのような場にいる理由を尋ねたかったが、今は他に訊かねばならないことがある。
「まぁ色々あって迷ってたんだ。だから人がいる場所までの戻り方を訊きたい」
「それでしたら、あちらに進んで行けば、元の公園まで戻れますよ」
少女が指を向けた先には変わらず空と水しか見受けられないが、それでも信じるより他にない。
「助かった。ありがとう」
「は、はい……」
礼を言われて少し照れたようにうつむいた少女だったが、すぐに顔を上げた。
「あっ……それよりもこちらから質問があるのですが、よろしいでしょうか……?」
「なんだ」
「さっきまでの私、なにか変でしたか?」
「そりゃ変だっ──」
出かけた言葉をあわてて手のひらでせき止めた。初対面の相手には失礼な言葉だと、理性が遅すぎるブレーキを踏んだ。
「……変じゃなかったが、別に」
「そうですか、変でしたか」
「アンタは話を聞かないタイプなのか?」
苦し紛れの軌道修正には付き合っていられないと言わんばかりに、非常に深刻な顔をする少女。
「あの、どんな感じで変でしたか?」
「そうだな……俺が目の前にいても全く気づいてなかった。卵を落として割ったときのような顔と姿勢で、そのまま剥製になったようだった」
「例えが独特ですが、想像はつきますね……ちなみに、今は何か変でしょうか?」
問われた大和は、改めて少女を診察するように眺める。
「む、首筋になにか」
「え、首ですか」
少女が反射的に首筋を触って確認する。
「そこだ。首の中間から肩の方へ、真っ直ぐに黒いテープでも貼ったような模様があるが……さっき顔を覗き込んだときには無かった気がする」
「黒い模様……あっ」
邂逅時には、確かに存在しなかった変化。
それが何かは大和に見当つくはずもなかったが、少女には心当たりがあったのか、突如として顔を曇らせた。そして、容体が急変したかのように青ざめていく。
「顔色が悪そうだが」
「へっ!? だ、大丈夫ですよ!」
そう言いながら、血色の悪い顔を左右に振る。
「そういえば私すぐに戻らなきゃいけないので失礼しますっ!」
一息で言いきりながら素早くお辞儀をしたかと思えば、少女は脱兎のごとく走りだした。
かと思えば、
「確認になりますが、公園に戻って道なりに行けば元来た駅があるはずです! 列車で街まで帰れます!」
自分の進む方向を指さして叫んだ後、律儀にまたお辞儀をし、水しぶきを上げながら走り去っていった。
「変なヤツ……」
呟いた後、大和は彼女に追いつかないようにゆっくりと歩みだした。
目が覚めると、すでに陽は傾き始めていた。
「夢……ではなかったな」
起こした体で軽く伸びをしたが、痛い。
仮眠とはいえ、コンクリートの上だったせいで、身体が悲鳴を上げている。
現在、とある小さな建物の屋上。
少女と別れてからは、かなりの時間が経っていた。水しぶきを立てながら走る貨物列車のコンテナ部分にしがみつき、約2時間。ようやくたどり着いた街で急な体調不良と眠気に耐え兼ね、できる限り安全な場所を探し出し、そこで仮眠を取ることにしたのだった。
ランニングウォッチを腕から外し、目先の教会に掲げられている大きな時計に目を向けた。
「まさか初めて体験する時差が、世界そのものとのズレだとはな」
なんとも言えぬ初時差に気落ちしながら時刻を修正し、大和は目線を上ヘと持ち上げた。頭上の空は、夕焼けが徐々に濃青色を塗りつぶしにかかっている。
──元の世界への帰り方も、あの時の女性についても、どうしても思い出せない。
「あの人を探し出して、帰り方を訊くのが一番マシか……名前も思い出せないが……」
今回もこの世界に来た原因に心当たりは一切ないが、どうやら都合よく助けの手を差し伸べてくる人間がいないのが、以前との違いのようだ。
「……食わなければ人はいつか死ぬ。メシは盗るしかないな」
そんな犯罪の覚悟を決めかけた大和に、何やら騒がしい人だかりの声が届く。その出処は、時刻設定に使った時計のある教会の前からだった。
気になった大和は、屋上から目を凝らして様子を見たかったのだが、ドスン──と重量感のある物音が背後から聞こえ、脊髄反射で振り向いた。
「よう。お前、今朝の防犯カメラに写ってたやつだろ?」
唖然とする大和の前に、数秒前まではいなかったはずの大男が立っている。
筋骨隆々の上半身を押さえつけるように、白衣をピチピチに着たアフロ男。威圧感をむき出しにして、夕日を反射させたサングラスをくいっとかけ直す。
「夏目が降りた駅に、お前も今朝いただろって訊いてんだよ。水上公園の最寄り駅だ」
律儀に問いかけ直してきたが、大和にはそれに答える余裕が無い。
この男はどこから現れたのか。なぜ自分のことを知っているのか。あらゆる疑問が、一気に渦を巻き始める。
以前この世界に来たときも、こんな男とは知り合っていない。
「おいおいなんで黙ってんだ。そこの協会の前にいるんだ、無関係じゃないんだろう?」
「関係……何のだ?」
「あぁ? 何って……そりゃ『夏目柚葉』とに決まっているだろうが」
「ナツメ、ユズハ?」
返ってきた答えにはまるで聞き覚えがなかったが、男はお構いなしに話を進める。
「今朝、あの駅に現れたのは夏目とお前だけ。そんでお前は防犯カメラの映像で、あの駅の改札飛び越えてホームをうろうろして……挙げ句列車に乗らずに立ち去った。財布でも忘れたか? 今の時代は電子マネーでも乗れるのによ」
「あ、あぁ……俺の住んでたトコでもそうだったが……」
男の言葉に、薄気味悪さを覚えた。それはまさに、朝に自分が取った行動だ。
なぜ無人駅にいた自分の映像を探し出して、それをわざわざ本人に伝えるのか。それがたまらなく不気味だった。
「あの駅はどっちの方面に一日近く歩いても次の駅がない。なのにお前は列車から降りるところが映ってねぇ……てことは列車以外の手段で、あの駅にいた柚葉のもとまで向かったんだろうが……」
こちらの不審点を丁寧に指折り数えた男は、ギラリと光るサングラスをこちらに向ける。
「俺が訊きたかったことはただ一つ。どうしてお前はホームに現れるようなマネしたんだ?」
「……」
そんなことを言われても困った。大和はただ少女の助言に従って駅へ向かい、無人だったために一度ホームに入ってみたのだが、所持金がゼロのために乗車を諦めただけなのだ。大層な理由などありもしない。
移動手段が無く途方にくれた後、偶然現れた貨物列車にしがみついて移動した、とはとてもではないが言い出せない。一応は無賃乗車なので、この世界でも犯罪に当たるだろう。なので言えるはずもない。
「答える気ねぇか……列車使わずに現場まで行っといて防犯カメラに映るっつー、わざわざ足がつくような事をした理由が、早く知りたいんだがなぁ」
「足がつく……? まるで犯罪者みたいな扱われ方だな」
「なんだ、違うのか? 現に俺たちはお前を重要参考人として追っている。映像以降の足取りは不明だったし、お前の行方はひとまず後回しにしてたところだったんだが……」
そう言われてもますます混乱してしまう。この男が何を自分に言いたいのか。何の疑いを自分に持っているのか。
「能面みてぇに表情が動かねぇな。サプライズで現れたんだから、もっと焦ってくれないとつまんねぇ……」
「いや、基本顔に出ないだけだが」
「ふむ……まぁこんな事件に手を出すくらいだ、動じねぇもんか。で、話を戻すが……どうせ関係者なんだろ? こんな場所にいるんだからな」
「だから、いったいなんの関係者なんだ」
か細い声の大和を一切無視し、相手はお構いなしに続けていく。
「いや~今日はラッキーだ。これで、お前の管理権は俺がもらえるはずだしな。柚葉に一枚噛んでるなら、お前もどうせ『アウトサイダー』なんだろ?」
「俺がサイダー……?」
そんな戸惑い混じりの声さえも鬱陶しそうに無視をし、男はニヤつきながら背負っていたショットガンのような物に手をかける。
「やり取りに食い違いがあるにはあるが、その辺の確認は後にさせてもらおう。今は時間がないんでな、とりあえず身柄の拘束だ」
そう言いながら、男は銃口を大和に構えた。一瞬にして大和は緊張感から息が詰まり、喉が勝手に絞まる錯覚すら感じた。
「身柄拘束なのにそんなデカい銃だと、俺を殺してしまわないか」
きっと男からすればどうでもいいアドバイス。しかしなぜか口を開けば、出てくる言葉はこれしか無かった。
男は眉をひそめた後、
「できれば早く済ませたいが、なにかあるなら早く見せてみろ。できれば俺らの知らんモノだと、捕まえたときの評価が爆上がりなんだけどよぉ」
「……そ、そうだ。アンタどこから現れた? さっきまではここにいなかったはずだ」
焦りから頭の芯が冷たくなった大和は、何とかこの場から逃げられるような状況を模索した。なんとしても、ショットガンの銃口を降ろさせなければならなかった。
男はさらに眉をひそめ、呆れたような口調になった。
「あぁ~? そんなの『アリス』から降りてきたに決まってんだろ。急いで現場に行けって言われたからなぁ……そんでアリスを飛ばして来たら、偶然上からお前を見つけたんだよ。ラッキーだろ」
「アリス……“不思議の国の”か?」
「おいおい、何訳分かんねえこと言ってんだ、知らないわけねぇだろ……そうかお前、俺のやつは静音性に優れてるから信じられねぇのか。すげぇぞ、俺のカスタマイズは。特別に見せてやるよ」
やけに上機嫌でニカッと笑う男は銃から片手を離し、そのまま白衣のポケットに突っ込んだ──その瞬間。
頭で考えるより速く、本能で身体が動いた。男の目の前で大和は反転し、たった三歩の助走でその場からの離脱を果たす──まるでペットボトルロケットさながら、大和は教会目掛けて一気に跳んだ。
──『君は機動力と耐久力が強化されてるみたいだね。君の意識が形になったモノなんだけど、いったい何を考えていたのかな?』
女性の声で思い返される言葉。それは前回教えられた、この世界で使えるという特別な力についてのものだった。
今回もそれが使えるというのは、最初に味わった空からの急転直下で実証済みである。上空200mの高さから落ちても、痛いだけで済む身体の耐久力。そして100mは離れているであろう教会まで、一跳びでたどり着ける機動力。それらを駆使し、大和は男から逃れるために跳んだ。
「ちょっ?! オイ待っ──」
後方で男の不自然な叫び声が聞こえた。なにかに途中で遮られたように聞こえ、空中で振り返り男の様子を確認したのだが、
──どういうことだ?
銃を構えていると思っていた。しかしその思い描いた想定との乖離に、反射的に眉をひそめる。
男は片手でショットガンを構えながら、なぜかもう片手に缶コーヒーを持っていた。それだけでも困惑するには十分であったが、より一層理解できなかったのは、銃口を下げさせている浴衣の少女の存在だった。
男にとってもそれは意外だったらしく、大和と同じく困惑した様子で隣の少女を見ていた。
「誰だ……?」
思わずつぶやいた大和は、その時彼女と目があった。
真っ黒な浴衣と腰まで伸びた白髪の少女は、ひどく呆れたような顔をして大和を見ていた。ネオンのように光る透き通った青眼は、どこか見覚えのあるものであった。
「────」
何かを呟いた少女の口元がはっきり見えたが、距離のある大和には当然聞こえない。
そもそも聞かせるつもりがなかったのか、少女は呆れ顔のまま青色の瞳を閉じ、白衣の大男と共に一瞬でその場から消えてしまった。
「消え──いや、コッチが先か」
一連の出来事に疑問は尽きなかったが、今は2人が消えたことに驚愕する暇もなく、着地点である教会の屋根が近づきつつある。それを知らせるように、ちょうど野次馬を飛び越えた辺りで、大和への驚きの声が耳に入ってきた。
予想通りの飛距離に一安心し、着地点に足をつけると、
「むっ」
脆かったのか足をついた箇所が崩れ、大和は崩落する屋根に飲み込まれるように教会内へと放り出された。
はるか上空からの落下を経験している大和だが、高所から落ちること自体には、当然だが慣れていない。そのため先刻も屋上から飛び降りるのでは無く、わざわざ離れた教会の屋根まで跳んだのだ。
恐怖で臓腑が浮いた感覚のまま、激しい音を立てて教会の床へと激突した。突然のことで受け身など取れるはずもなく、無様な体制で床に転がった大和に屋根の破片が降りかかる。
「……痛いで済むな、相変わらず」
そうぼやきながら、穴の空いた天井を見ていると、
「……あの?」
なんとも気の抜けるような声が耳に飛び込んできた。
仰向けのまま視線だけをおでこの向こうへ持ち上げると、大和はまたも不可思議な光景を見ることになる。
「む……今朝の変なヤツ」
「あ……今朝の変な人?」
この世界で初めて出会った少女が、正座のまま覗き込んでこちらを見ていた──なぜかその手首には、手錠を掛けられたままで。
ばっちりと合ったその目は、今朝出会った時とは違い、透き通るような黄色い瞳に変わっている。
互いが互いに、突然現れた存在に困惑する中──
五月大和と夏目柚葉は、再会を果たした。